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サポチル20周年記念インタビュー 荒屋昌弘(運営資金獲得WG理事)×吉沢伸一(関東理事) 「傷つきを抱えて子どもとともに考えるー支援の現場でできることー」[前編]

今回お話を伺ったのは、認定NPO法人「子どもの心理療法支援会」(サポチル)の理事である荒屋昌弘さんと吉沢伸一さん。
荒屋昌弘さん:サポチル 運営資金獲得ワーキンググループ 理事,大阪人間科学大学所属
児童養護施設に長く勤務されており、虐待を受けた子どもの支援に携わられていました。現在はコンサルテーションとして児童養護施設の子どもたちと関わり合いながら、「大阪人間科学大学」にて講師としてもご活躍中です。
吉沢伸一さん:サポチル関東 理事,ファミリーメンタルクリニックまつたに所属
虐待を受けた子どもの症例報告の他、セラピスト自身の気づきがセラピーに生きていく論文を数多く執筆されており、「ファミリーメンタルクリニックまつたに」では児童から青年まで幅広い症例の方々を対象に心理療法を行われています。
今回は「トラウマや虐待の経験を抱えた子どもたちへの支援」をテーマにしたお二人の対談です。現状の問題点から「それぞれの立場で出来ること」として、サポチルも含めたこれからの支援の展望について語っていただきました。この対談から、支援の厳しい現実と、それでも失われない希望の光を垣間見ることが出来ました。
二人の専門家、支援の原点に立ち戻る
ートラウマや虐待の経験を抱えた子どもの支援についてお話していただきたいと思いますが、まず、お2人は現在、どういったところに強い関心を持たれていますか?
荒屋 私の関心が向いているのは、やはり虐待を受けていた人たちがどうやって幸せになれるのか。社会の課題として虐待の連鎖を切っていくということと、支援者を支援していくということに今は関心を持っています。
吉沢 私は現在、児童精神科のクリニックで勤務しています。そこが私の臨床の中心になりますので、基本的には家で生活している子どものトラウマや虐待関連のセラピーをしています。「虐待によるトラウマを抱えている子」といってもいろんなタイプのお子さんがいて、難しい状況になってしまうことが度々あります。学校の先生だったり、児童相談所だったり、子ども家庭支援センターだったり、地域の関連機関の人たちと関わることになる。ケースカンファレンスで顔を合わせ、そこで*児童福祉領域の方々と出会うっていうことがありました。
あとは私がスーパービジョンをするようになって、訓練途上の人たちや他領域の人たちが、トラウマや虐待の経験を抱えた人たちの子どものセラピーをどうしていったらいいんだろうかと悩む様子を見てきました。そこの流れで荒屋さんともつながるんですけれども、支援者の支援ということで。
これは個別のケースの作用だけじゃなくて、そもそも支援者自体が児童福祉領域で生きていくって大変なので、同じ立場の人たちをグループで、みんなで話し合いながら支えていくという試みをしています。
現場の人は本当に疲弊しながらも情熱的に頑張ってらっしゃるなと思って。少しでも何か力になれないかなと、自分が役に立っていたらいいなというふうに思っております。
*児童福祉領域:18歳未満の子どもとその家庭を対象に支援を行う分野。児童福祉施設は乳児院や保育所、児童福祉施設などが含まれ、心理士も含めた専門職により支援が行われる。
ーそもそもお二人が虐待を受けた子どもの支援に関わるようになったきっかけはなんですか?
吉沢 私は元々は児童福祉領域や虐待トラウマの臨床をしたいと思って心理の仕事を始めたわけではなかったんです。資格をとって現場に出たらそういう状況になった。児童精神科なので、必ずしも虐待だけではなくいろんな症状や問題を抱えた方が来ますが、それでもやはり多くは家族関係が難しくなっていたり、家庭環境が厳しい状況があるというのはあって、それをどこまで虐待か虐待じゃないかとかって線引きするのは難しい。なので、私の場合は虐待かどうかにかかわらず、どんな親子関係、生育歴を持っている子でも、どんなふうにしたら今、目の前にある問題に関わっていけるのか、っていうことを考えてやってきたわけです。
僕は後から児童福祉領域を知って、この領域でやってる人たちは困難な状況の中で本当にすごいなと思うんですけど、そこに自ら足を踏み入れた荒屋さんはどんなお気持ちだったのかをぜひ聞いてみたいです。
荒屋 恥ずかしながら、実は私も児童養護施設については大学院の時にアルバイトでプレイセラピーをするまで知らなかったんです。ただ子どもの支援をしたい、子どもの臨床がしたいっていうことだけは自分の中で強くあったので、先輩からそれが出来る場所があるっていうのを聞いて。そして大学院の時に仲間が児童養護施設での臨床を始めていて、仲間の中で、児童養護施設の臨床っていうのが渦を巻いているというか、そこで熱心にやってる人間たちが近いところにいたというのが今思えば始まりでしたね。
実際に児童養護施設で支援を始めてからはもう、自分が心理士として機能しないというか、何を求められているのかわからないし、子どもたちの臨床をしようと思っても何も歯が立たないし、職員さんたちの生活支援のところに自分はついていけないし。自分が目にしているものは、これが本当に支援なのか、これは不適切とは言い切れないけれども本当に子どもたちのことを考えて、子どもたちはこれでいいと思っているのかと、疑問に思いながら関わりを続けていました。自分は「何を見てるんだろうか?」と思うこともありました。
ただ、なんだろうな。私もね、なぜこれをやめられないんだろうかってことを最近考えるんです。やめないというかやめられないんですね。
これをやりたいと思って入ったわけではなく、たまたまそこに足を突っ込んだんです。でも今もこの仕事に関わっていて、*社会的養護の領域の中にようやく変化へのムードというか、追い風が吹いているんですよね。これから何ができるんだろうかとすごくワクワクしているんです。あまりちゃんとした答えになっていませんが。
*社会的養護:家庭での養育が難しい子どもたちを、社会全体で支えること
子どもの心のケアって何するの?
荒屋 今、話している中で吉沢さんに聞きたいなと思ったのが、虐待を受けてる子どもたちとか、親とうまくいかない子どもたちへの心のケアについてです。
心理的ケアという風に言われるけれども、必ずしも現場で適切なケアがなされてるとは思えないし、医療機関であっても、適切に行われてるところもあれば、本当にそれでいいのかなと思うようなケアがなされていたりとか。そもそも確立された心理的ケアがまだあまりないなと思うし、現場にいても『心のケアって大事だよねー。で、何すんの?』みたいにはっきりとはわからないし。社会に大切だと伝えようとする時にも、『なんかわかるけど、なんかわかんない』みたいな。そんな心のケアをどんなふうに吉沢さんは考えているんでしょうか。その目指すところはどんなものなのか、この機会にお聞きしたいなと思います。
吉沢 なかなか難しい問題ですよね。個別のケースのレベルから社会的なレベルまで何をどう訴えかけていくのかっていうすごい幅広いものが含まれていると思います。虐待とは言えなくてもいろんな*マルトリーメントメントの中で、いろんな問題行動や症状が起きている。だからもう本当にね、千差万別というか、トラウマって言ったっていろんな状態像があるし、それは発達障害が背景に絡むこともあるかもしれない。大枠ではこうですって言えるかもしれないけど、本当にみんなそれぞれ違うので。経験からある程度こう理解できるのかなっていうのはあるかもしれないけど、それでも常に手探りで「分からない」の連続ですよね。多分「分かった」気になってしまったら、もうそこで止まっちゃうというか、目の前の事象をちゃんと捉えきれない。なので常に臨床と、それを見直すことや訓練っていうのは終わらない。
セラピーにも様々な目的があると思いますが、やっぱり最終的には自分で自分のことをちゃんと考えられるようになるということが大きいと思うんですよね。トラウマがメインの問題となっていなくても、多かれ少なかれ心的外傷があって、それをカバーするためにいろんな症状が出たり問題行動がおきている、それに圧倒されないで自分と付き合っていけるようになるということが大切だと思っています。そしてそれは一人では出来なくて、心理士が『こうしたらいいんだよ』と言うよりも、生身の人間関係の中で、子どもと一緒に模索して少しずつ自分の課題に取り込んでいくというか、経験から学んでいくっていうか、お互いのそういった交流の中でしかセラピーは展開しないですよね。その関係の中で生じている良い経験やうまくいかない部分を共有しながら、本当に少しずつですが人を信頼するための安全感が培われていく。そして、家族にもアプローチしているので取り巻く環境が変わったら子どものプレッシャーが減って少し生きやすくなる、ということもあります。
*マルトリートメント:虐待とは言えないまでも、子どもに対する適切とはいえない養育のこと
支援者同士が連携していくことの大切さ

吉沢 僕の場合は、児童養護施設と違って親から切り離されたというよりは、親も家族も含めてどうサポートするかということも考えないといけないので、いろいろな立場からの情緒的な影響を受けて自分がやってることが本当に正しいのか、本当にこれでいいのかと常に迷っている部分はあります。でも、一緒にやってる仲間たちがいて、横のつながりや縦のつながり、あるいは同じような取り組みをしている人たちと対話していく中で「こういうことが問題だよね」っていう共通項が見えてきて、どうアプローチすればいいのかを共に模索する経験が支えになってきています。
そして、私がセラピーで培った見解は、例えば学校の先生に同じことを言って同じことをしてもらうことは出来ないので、心理士ではなく学校の先生の立場だったら何ができるかとか、施設の職員さんだったら何ができるかとか、そんな風につないでいくっていうことが必要なんだと思います。私は他職種のいろんな人たちと話していて、むしろ学ばさせてもらった面もありましたけど、いろんな職種の人がそういうマインドを持って力を合わせていければいいなと思っています。
荒屋 一緒に考えることがとても面白いし、そこから生まれてくる色んなものにワクワクすることもあるけれども、それは決して簡単なことではないんですよね。
「考える」ということが、虐待やマルトリートメントのような難しさを抱えている家族の中ではより難しい。施設の中においてもそれは同じで、支援者支援を行っていると『あれ?これ破綻した家族と同じような状況だな』ということが施設の中で起きていたりする。だから会話もできないし、不信感でお互いコミュニケーションも取れない。例えば、「施設長は色々押し付けてきて俺らの気持ちはわかってくれない」みたいな。恐らくこれは家族だけでなく、このような家族状況は、集団や社会における同様の難しさの原点にある問題なんだろうなっていうのを、吉沢さんの話を聞きながら改めて思いました。
地域で暮らす家族に触れる臨床は、施設とは異なる難しさがあると思うんです。児童養護施設はある意味、家族から切り離されてプロフェッショナルで固められている場所で、子どもがすごい傷つくんじゃないか、死ぬんじゃないか、というような強烈な不安や恐怖からは一旦離れたところで臨床をしていくので。
その地域というか、家族の中にいるなかでの臨床はそういった恐怖と隣り合わせの難しさを感じています。
「良いものが良いもの」として感じられない子どもたち
ーなるほど、考えさせられますね。吉沢さんがいうように、子どもの問題が家族や地域、学校の問題がシームレスで分けられないから連携して一緒に考えていくことが必要になるわけですが、荒屋さんがいうように、施設のなかでは子どもは守られているはずなのに、実際には子どもの痛みに目を向けられず、家族で起きていたようなことが生じてしまうという問題があるわけですね。
吉沢 そうですね、色々なケースが頭に浮かんできましたが…ケースバイケースみたいなところもあるわけですけど。世代間伝達というか、虐待的な関わりをしてしまう親御さんもおそらくそういう状況で育てられてきたし、さらに言えばその上もそう、みたいな。そうすると、そういう時代だったよみたいな、昔は学校でも気合いだとか、根性の世界で、体罰だとか暴力的なことが許容されていた時代もあったわけですよね。それが、「それは虐待だから暴力だからやめて」とは言うけれど、実際には、地域性や家族風土もいろいろあるので、なかなか浸透していない部分がある。まさに荒屋さんがおっしゃる連鎖を断ち切るって言ったときに、「一体いつから虐待は生まれてきたんだろうか?」という大きな問題がありますよね。
ちょっと話は変わりますが、虐待を受けた子どものセラピーの大変さは、どうしてもこちらがネガティブな感情を持たされてしまうことだと感じています。その子が悪いわけではないんだけど日常生活とか学校とか、色んな社会場面で相手の何かを刺激して報復されるみたいな、そういう傷つく連鎖があって。自分でそれを引き出してしまうみたいな子もいるし、むしろ全く関われないで孤立しちゃうっていう場合もあるかもしれないですけど。とにかく、トラウマを抱えたり虐待を受けた子どもは、他者と関わりたいのに関わり方がとても歪つ。子どもたちは何が良い体験かわからないから、本来良い経験のはずがそう受け取れない状況になってしまうことが多々あります。セラピストとの関係で同じような体験をしたときに、そこをどれだけ別の経験に出来るのか、良いものが徐々に良いものだって分かっていくことが出来るのか。セラピーでそういう経験をしていくことが必要ですよね。「セラピーの場面が安心ですよ、セラピストの私はいい人ですよ」って会っていけばいいわけじゃなくてむしろ逆で、「信用できないものはある」「怖いことは起きる」ということを乗り越えていかなきゃいけないっていうのが難しい。
また、荒屋さんがさっき話していたように「考える」ということが難しいから、何かに突き動かされて衝動的に問題を起こしたときに内省することが難しい。内省しようとすると心に痛みが伴なったり、不快感が伴うので心へ目を向けられることは容易なことではないですよね。
私は、若いころにはそこを一生懸命やってたんですけど、でもそれじゃダメだなと。子どもは成長して、変化してるけど、結局家族が変化しなければ同じことが繰り返されていく。やっぱり親のアプローチが必要だって次第に思うようになっていきました。
私が臨床経験を積んで、自分が家族を持って、少しずつ青年期から抜けていってそれがわかるようになってきたんです。親から何か虐待的な行動があったときに「それは悪だ、ダメなことだ」と言うのは簡単なんです。けれど、親は親で大変なんだよなとか、子どもとの関係が難しくならざるを得ない状況もあるんだよなとか。親から話をよくよく聞けばその親自身が過酷な状況の中を生きてきた経験がある。
これは単純な善悪で判断できないから、親もサポートが必要だし、そうすると家族を支えるチームで支援をやらないといけなくなってきます。
やはり個人の心理療法でできることへの限界がありますから、シビアなケースはみんなで見守るという視点がないといけないし、一生懸命やれば良くなるという話でもない、そこが支援者として苦しいところですね。心理士だけでなく施設や病院の職員さん全般に言えると思いますが、虐待を受けトラウマを抱えた子どもの心を癒すことは本当に骨の折れる仕事なので、支援者同士が支えあっていけるかどうかが大切。私は同じく学んできた仲間たちと支え合ってなんとかしてきましたが、中には心理士を辞めていったり、悲しいことに命を絶った人もいました。なので、そういう危うい領域で仕事をしてるんだなということについて、私たちは自覚的じゃないといけないと思っています。
荒屋 一生懸命に支援に関われば関わるほど、いやでも心が動かされてしまうというか。物理的な恐怖だけではない、支援者を追い詰めるような恐怖と隣り合わせのケースは、特に家庭にいる場合は多いと思います。恐怖と隣り合わせの中で物事を考えていくことや、それこそ事実や現実を直視して、それを仲間や関係機関と共有していく難しさがあると思います。どうしようもない拭えない怖さと向き合うことになる。それを克服して言葉にして支援者と共有する必要がある。恐怖を自覚しながらやっていかなきゃいけない。
吉沢さんがおっしゃるところで「確かにそうだよな」って思うのは、必ずしも「良いものが良いものに見えない」っていうこの切なさですね。私にとって「自分は幸せになりたい」と思うのは当たり前のことだし、生まれてきたことも疑うことではなかったけれども、彼らと話をしているときに「幸せになってもいいと思っていますか?」と聞くことがありました。彼らは「思ってるわけないよ」と言うんです。「幸せになっていい、なんて思ってない。自分は放り出された子どもだから」とか、「俺、生まれてこない方が良かったのかな」って。それは、私が考えたこともない問いでした。だから吉沢さんがおっしゃるように、良いものが良いものとして必ずしも見えてない。それでは生きづらいでしょうし、幸せになるチャンスであっても、そう見えなかったりするのでしょう。
でもそれは彼らの問題というよりも彼らが背負わされたもので、それが親からなのか社会からなのかわからないけども。だからこの人たちが本当に幸せになっていくということは、すごく大事な取り組みだと関わっていて思います。
前編ではトラウマや虐待の経験を抱えた子どもと、その家族の心理支援を行うことへの難しさを聞くことが出来ました。後編では、子どもの心への関心をどう社会に伝えていくのかについて、お二人の意見をうかがっていきたいと思います。
後編の公開は2月5日!是非チェックしてみてください!
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【サポチルの今後の展望について】
日本での子どもと家族の支援は、既に一定の公的な支援が行われています。最近では、子ども家庭庁が設立され、全国の地方自治体に子ども家庭センターが設置され、子どもと家族の支援が進められています。しかし、じっくりと子どもや家族を見つめて支援する姿勢が十分に浸透しているとは言い難いのが現状です。精神分析的アプローチのように、非常に細やかな対応をすることは、現代の日本社会の文化や風土において難しい部分もあるのかもしれません。しかしそうしたアプローチで初めて、いわば救われる子どもや家族がいるのではないかと思います。そのため、公的な支援の枠組みには乗りにくい子どもや家族の支援を引き受けることが私たちサポチルの使命だと考えています。
サポチルは、家庭の経済状況にかかわらず、それぞれが抱えている問題に対して支援を行うことで、子どもたちが健全に成長できる社会を目指しています。サポチルでは、現在子どもたちの支援活動を財政面で支えてくださる方を募集しています。
5000円の寄付で、誰かのワンセッションが無料になります。
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インタビュー/米澤宙 構成/畑山由華