サポチル NPO法人 子どもの心理療法支援会

コラム

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子どもがその子らしく育つことを支えるために −ステレオタイプを考える−

私はロンドンにてラーメン倶楽部なるものを結成している。先日、そのメンバーで近くのラーメン屋を訪れた。大英博物館前の通りにあるラーメン屋で、味噌ラーメンが実にうまい。店主はラーメン魂を感じさせる韓国出身の方だ。
友人3人とラーメンをすすりつつ、いつものように話し込んだ。話は日本人以外(友人は店主を日本出身の方と思っており、私による訂正に驚いていた)の人にうまいラーメンが作れるのかという話から、ステレオタイプの話に麺の如くに延びていく。さらに話は友人の息子がステレオタイプに苦しめられていることに及んだ。
その友人とパートナーは男性の同性カップルである。ある日、幼稚園で彼の息子が他の男の子と手をつないで歩いていると、先生が「それは女の子がすることだよ」と諌めるように注意してきた。彼の息子は「僕のダディだってパパと手をつなぐよ」と言い返したが、先生は「ダディ(お父さん)とマミィ(お母さん)が手をつなぐのは普通だよ」と答えた。彼の息子は「マミィじゃない、ダディとパパだよ」と主張したが、その先生はとりあわなかった。彼はひどく困惑し、傷ついてしまった。
ここには二重のステレオタイプがある。一つは、男性同士で手をつなぐものではない、というもの。もう一つは、両親は生物学的異性のカップルである、というもの。これらのステレオタイプは集団、社会、文化において生み出されるある種の固定観念である。それはある面で、現実の複雑さを無視し、物事を単純化する。私たちの視野を狭くしうるこれ自体の問題もさることながら、ステレオタイプは往々にして「こうあるべきだ」という態度を私たちに促す。この態度の問題はより深刻である。
「日本人のつくるラーメンはうまい」というステレオタイプは文化的誇りになるかもしれない。しかし「ラーメンは日本人が作るべきだ」は、その態度を取る人のラーメンライフを狭める。それだけならいいのだが、そのような態度を多くの人が取る場合、実際、日本人ではない人がラーメンづくりの分野で活躍する可能性を阻害し、その自由を奪うことになる。先の幼稚園の先生が先述のステレオタイプから「男の子はこうあるべき」という態度をとるとき、自らの生き方はもちろん、それはその枠にはまらない子どもたちの生き方を狭め、その子、そしてその子に関わる多くの人の存在を否定し、傷つける。
どの社会においても必ずそこには文化がありステレオタイプが存在する。これらのステレオタイプに影響されない個人など皆無だろう。問題は、そのステレオタイプに対して私達がどのような態度をとるかである。特に大人として子どもにかかわるとき、その子が自分を自分らしく生きることを支えるためにも、自らのもつステレオタイプを自覚し、その問題を問いつづけ、それを子どもに押し付けないようできる限り注意の払える大人でありたい。・・・と、韓国出身の方が作ったすこぶるうまい味噌ラーメンを一滴残らずたいらげながら、つくづく思った次第である。

西村 理晃
(サポチル訓練コース担当理事/児童青年心理療法士/精神分析家)

 

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