サポチル NPO法人 子どもの心理療法支援会

コラム

COLUMN

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こどもの心の世界を理解するーセラピーでは何を観察しているのだろう?―

  精神分析的子どもの心理療法士の訓練の最初に「観察」があります。今月は、実際のセラピーの場で、心理療法士は何を観察しているのか、具体的にご紹介したいと思います。(個人情報保護のため、お名前など背景を変更しています。)

保育園に通う、ナミちゃんという女の子とお母さんのお話です。お母さんは、ナミちゃんが家の外で話さないことを相談したくて一人で来談されました。保育園では、トイレに行きたい、お腹が痛いなど、必要なことを話せないので、ナミちゃんの困りごとを気づいてもらえないのではないか、と心配しておられました。

 二回目は、ナミちゃんも来談しました。この相談室では、親子並行面接と言いまして、同じ時間帯に別々の部屋で保護者の面接と、子どものプレイセラピーをします。時間になり、子ども担当の心理士Aさんと一緒に待合に迎えに行くと、小柄な可愛らしい女の子が慌ててお母さんの膝の上に座りました。ナミちゃんは私達を一瞥しただけで、すぐに視線を外し、全身でお母さんに貼り付けました。お母さんが立ち上がると、ナミちゃんはくるりと背を向けてお母さんに抱きつきます。私たちは通常よりも距離を取って、できるだけソフトな声で挨拶をしました。お母さんは、なんとかナミちゃんを前に押し出そうとしました。ナミちゃんの手は、お母さんの体から剥がされるとお母さんの服を、服から剥がされるとお母さんの指を、瞬時に掴みました。まるで手は、崖から落ちそうになってしっかと突き出た枝を掴んでいるかのようでした。一方のお母さんは、必死でナミちゃんの手を振りほどこうとしていました。ここで諦めればナミちゃんが分離する機会を逸する不安に駆られているように見えました。母子の痛みは心理士二人にも伝わってきました。「みんなで一緒にプレイルームに行きましょうか」という言葉が、私の口を突いて出ていました。

 この日から、引っ越しで中断するまでの1年間、毎週4人でプレイルームで過ごすことになりました。ナミちゃんは、ほぼお母さんの膝の上に座っていました。心理士二人が、玩具を動かしたり、ナミちゃんが好きだというゲームや絵本のキャラクターを作ったり、時折ナミちゃんの動きをごく短い言葉にしたりすることを続けました。当初、お母さんは、ナミちゃんを膝の上から私達の方へ押し出そうと頑張っていました。ナミちゃんはその度に全力でお母さんに自分の背中を押し付けました。ナミちゃんを無理に引き離さなくてもいいと、大人3人が腹を括った頃、ナミちゃんはわずかに動きだしました。心理士Aさんが電車を走らせると、お母さんの膝からお尻を浮かしたり、私たちが作っているものをのぞき込んだり、Aさんがブロックをねじり、はめ、外すタイミングに合わせて履いている靴下を上げ下げするようになりました。お母さんはいつしかナミちゃんの足をリズミカルに叩いてそれに応じていました。

プレイルームでナミちゃんは言葉を発しないままでしたが、保育園では、ナミちゃんは好きな保育士さん達を後追いし、一緒に遊びたいサインを出すようになり、行事も楽しめるようになっていました。また、自宅で、保育士さんとAさんが同じ苗字だ、Aさんの下の名前は何かな、とナミちゃんが訊いていたと、お母さんが教えてくださいました。「私のことを知りたいと思ってくれたんだね」Aさんが言い、ナミちゃんはしれーっとしていました。

 引っ越しのため相談室に来れなくなることを伝えた回、ナミちゃんは唖然とした表情をこちらに向けました。そして、みるみる落ち込んだ様子になり、終了時刻まで顔を上げませんでした。いつも背後にいたお母さんが、ナミちゃんの顔を覗き込んだのが印象的でした。ナミちゃんがお母さんの足をパンパン叩き始めました。「お別れするのイヤ、イヤ」パンパンに合わせて私が言うと、お母さんがナミちゃんの手を取って一緒にポンポンと足を叩きました。この日の終了後、窓から偶然、建物の外へ出た母子が見えました。あの物静かなナミちゃんが、地団駄踏んで、鞄を振り回していました。私達には、二カ月後に迫るお別れに抗議しているように感じられました。

 コミュニケーションは言葉だけではなく、時に指を掴む手だったり、時にお母さんに張り付く背中だったりします。それらが他者に観察され、それらの意味を考えられると、子どもは、何かを伝えている自分に気づき、観察した他者に興味を持ち、交流する通路が浮かび上がるように感じます。ナミちゃん親子は、こうした繊細な交流がそこここに存在することを教えてくださったと思っています。

(サポチル認定こどもの精神分析的心理療法士/臨床心理士・公認心理師 細野久容)

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