サポチル NPO法人 子どもの心理療法支援会

コラム

COLUMN

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子育てのいち場面から:子どもが語る不思議な言葉をめぐるもの想い

ある日のこと、2歳になったばかりの娘Mちゃんが聞きなれない言葉を発した。

 

「チカモロチ」

 

私は初めてその言葉を耳にしたとき、Mちゃんのその言葉をうまく聞き取れなかった。加えて、まだ言葉を話しはじめて間もない幼い子どもが特に何の意味もない言葉を発しているだけなのだろうという程度で取るに足らないものとして聞き流していた。どのような文脈で使われ、どのような意味があるのか等といったことには全くの無関心な自分がいた。

 

しかし、Mちゃんは私が忘れていた頃に再び「チカモロチ」という言葉を発した。その後も頻繁に私はこの「チカモロチ」を耳にすることになった。

 

「パパ、チカモロチ?」「Mちゃんは?」「ママ、チカモロチ?」「Mちゃんチカモロチがイイ」等など…

 

どうやら、この「チカモロチ」はMちゃんにとって重要な何かであるらしい。

私はこの「チカモロチ」に対して興味関心を抱くことになった。

 

まず、私はMちゃんに「Mちゃん、チカモロチって何?」と尋ねた。これは安易な問いかけで、しかもいくらか直球過ぎたかもしれない。Mちゃんは、実は私に「チカモロチ」が伝わっていないことが分かり、また尋ねられたことが意図するものではなかったからだろうか。「んー!!」という不機嫌な気持ちを返してきた。私がその後も何度か折に触れて「チカモロチ」の謎を解くべく、Mちゃんに探りを入れるが、その度にMちゃんは怒り「パパ、ヤダ!」とプイッと顔を背け、なかなか謎解きのヒントを得ることはできなかった。

 

次第に、私がMちゃんと一緒に遊んでいるときや、Mちゃんがおもちゃ遊びをしているときに、この「チカモロチ」が登場することが多いことに私は気づいた。

 

この言葉は、Mちゃんがなりたい何かであり、私や妻に対してもそうあってほしい何かであることが分かってきた。

 

私が以前のように無関心ではなく、興味関心を抱いて「チカモロチ」を大切にすることでMちゃんはよりいっそう生き生きと活発に「チカモロチ」という言葉を口にするようになった。「チカモロチ」はアンパンマンが困ってる人を助けたとき、私がMちゃんを抱っこしたり高い高いをしたとき、Mちゃんが大きな重たい物を持とうとしたとき等に使われることが分かった。「ママもパパもチカモロチで、Mちゃんもチカモロチがいいんだね」と私が言うと、Mちゃんは「うん!」と力強くうなづいた。

 

「チカモロチ」の真の意味を理解したわけではなかったが、その言葉とそこに含まれた気持ちに寄り添うことは、子どもにとって自分が伝えたい何かを分かち合ってもらえる経験になるのではないか。それは子どもの生き生きとした心を育む支えになっていくように思われた。

 

私は後日、この謎の言葉のさらなる探究のために、妻の協力を得ることにした。妻はそれをすでに理解していた。さすがである。「チカモロチ」とは「力持ち」のことだと。そうか。なるほど。Mちゃんは「力持ち」になりたいのか。私や妻にも「力持ち」でいてほしいのか。

 

Mちゃんは、今はもう「力持ち」と言えてしまう。この「チカモロチ」に対して、すぐに「違うでしょ。力持ちでしょ」と言ってしまう前に「チカモロチ」へのもの想いをしながら「チカモロチ」の不思議をMちゃんとの関わりを通して探究した経験は、私にとってとても面白く貴重な経験となった。

 

子どもが発する言葉は面白い。特に話し始めの言葉には不思議な言葉が多く、一度聞いただけでは分からない言葉や、何度聞いても分からない言葉も当然ある。忙しない日常の些末なひとつの言葉でしかないが、ほんの少しだけでも、子どもが語る不思議に想いを馳せてみると、そこには子どもの心の世界が広がっている。

 

子どもが私たちに見せる不思議は語られる言葉だけではなく、語られないものにもある。例えば、動きや態度や雰囲気でも表現される。当然、遊びの中にも表現される。時々こういった不思議に注目し、付き合ってみるのはどうだろうか。

 

(サポチル理事/サポチル認定子どもの精神分析的心理療法士/臨床心理士:小笠原貴史)

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