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「こころの羽の伸ばし方」#4 レビュー記事:夕凪の街 桜の国 (こうの史代) を読んだ一日の体験

この本を買ったのはせいぜい数年前のことと認識していた。今日こそは読もうと手にとっては本棚に戻すことを繰り返して数年の年月が経ってしまったと、そう認識していた。数年とはせいぜい5年くらいか。ところが、である。今アマゾンの購入履歴を見るとなんと20年前に買っていたのであった。
私はこの本のことを原爆によって人生を失った、あるいは人生が狂った広島の人の物語として書評で理解した。つまりはトラウマの話だ、トラウマなら仕事上読んだ方がいいに決まっている、と、そういうことを考えて、そしてアマゾンでポチったのである(と記憶しています)。
ポチっておきながら、何年もの間この本を読むことができないのは、自分が10年前に経験した、そして今もそのあとを生きていて折にふれて胸を突かれる思いをするある出来事のせいだと考えていた。(この出来事は私にとってはトラウマと呼ばれる体験なのです) しかし、今わかりにくい書き方ながらお示ししたように事態は逆であり、私は自分がある過酷な体験をする前からこの本を手にしては逡巡することを繰り返していたのであった。 やたらと、「のであった」と書きたい気分になってしまっている。
いずれにせよ、私は正月がもうじき終わろうとする1月3日、妻が youtubeを視聴しその傍らで娘が嬉々として Nintendo Switchをしている、まさにその横でこの本を読み、そしてそこに語られている広島の人の心に触れて(確かに触れているという、そういう手触りがするのです)、図らずも、ツー ンと鼻の奥が痛くなっている。初老に差し掛かりなむとするおじさんが家族と同じ空間で鼻をツーンとしているのはばれたくないなあ、でも、この本は妻と子供たちにも読んでほしいなあ、でもこの本を読むと妻も悲しい思いをするのだろうなと、そんなふうに感じながら。
そして、時間の感覚の前後する感じ、自分にとっては究極の体験と認識していた自分のトラウマと同じ体験を実は私は既にその前にしていたんだなという発見、当たり前に使っていた言葉(夕凪や桜をはじめとしたこの本に出てくるたくさんの言葉です)が重層的でふくらみを持っていたんだなという喜びの感覚、これらは私が受けているセラピーにおいて感じているものと同じであることに気がついた。
久しぶりに(でもないのですが、ここはやはりお決まりとして久しぶりにと書かせていただきたい) 私の故郷でもある広島に帰ろうと思ったのであった。
出典:こうの史代(2004)『夕凪の街 桜の国』双葉社.
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